陶磁器産業の現状
名古屋港は日本の陶磁器輸出を支えた重要な港でした。
今から30年前までのことです。
港からの陶磁器の輸出額は、トヨタ車のそれをはるかに凌いだといわれています。
なぜ名古屋が陶磁器輸出の中心となったのでしょう。
それは、近くに瀬戸、美濃といった有数の陶磁器生産地を持っていたからです。
白い磁器は名古屋に運ばれ上絵つけを施した後、海を渡るため港に運ばれました。
1973年(昭和47年)までの為替は固定相場制で、1ドルは360円。
日本の白い磁器は、品質、価格とも欧米人にとって大変魅力的だったわけです。
変動相場制に移行後はじりじりと円高が進行し、輸出にも陰り見え始めます。
元来労働集約型の産業であるため、上昇する賃金も大きな痛手となりました。ただし日本製品が多少高くなっても、品質においてはなお他国を圧倒していました。したがって日本のメーカーに危機感はありませんでした。
しかし次の為替の転機によって事情は一変します。それは1985年。ご存知のプラザ合意です。これを境に円はドルに対して急騰し、日本の陶磁器産業は競争力を失い衰退していきます。
為替の変動は、国内市場にも大きな変化をもたらしました。安価な海外製品が流入、中国、タイ、マレーシア、インドネシア等東南アジアの製品が市場に溢れています。
またヨーロッパの一流メーカーの商品も低価格で大手スーパーに並ぶようになりました。
ただし輸入品の中には、安かろう悪かろうといった商品が多くあります。一流メーカーの商品でも、明らかに手を抜いた商品、ブランド力のみに頼った商品も数多く見られます。
東原製陶の役目
日本の陶磁器の産業構造は、製造面では細かく分業化されているのが特徴です。型を作る会社。土を作る会社。釉薬を作る会社。生地を作る会社。上絵付けを施す会社。一つのモノを作るのに多くの会社が関わっています。それらのほとんどは10人以下の零細企業ですが、働く人たちはその道のスペシャリスト。実力は歴史のあるヨーロッパメーカーの技能士にひけをとりません。
一方流通に目をやりますと、メーカーと消費者の間には旧態依然とした複雑な商流が存在しています。メーカーから出荷された商品は、何人もの手に渡り、その都度手数料と送料を上乗せされ、消費者が手にするときにはメーカー出荷額の3倍から4倍に跳ね上がっています。 これでは折角メーカーが努力して安くモノを作っても輸入品と戦うことは出来ません。
そこで東原製陶は、
インターネットを最大限利用して
1)陶器のスペシャリストと協力し、
2)できる限り低コストで、
3)高品質、
4)高付加価値の商品を、
5)複雑な流通構造を排し、直接消費者の皆様に届ける
ことを目的とし、このホームページを立ち上げました。
新しいモノの流れ
国内製品インターネット販売の場合
原料メーカー 連携協力 弊社
(陶土/釉薬メーカー)
生地メーカー連携協力 弊社
転写メーカー連携協力 弊社
弊社上絵付け/梱包 ダイレクト発送
(旧来の流通)
産地卸売問屋最終消費者
地方卸売問屋
小売業者
最終消費者
新しいモノの流れ
フランス・リモージュ製品インターネット販売の場合
フランスのメーカー
弊社上絵付け/梱包 ダイレクト発送
(旧来の流通) 最終消費者
通関業者
輸入商社
デパート・インポートショップ
最終消費者
会社概略
会社名 株式会社 東原製陶 資本金 1,000万円 設立 大正12年8月8日 業務内容 (輸出)
ノベルテイ全般
(国内販売)
国内生産の陶磁器全般、フランス・リモージュ陶磁器
(陶器上絵付け教室)
(駐車場)主な輸出先 アメリカ、カナダ、オーストラリア、ドイツ等 主な輸入元 フランス 住所 名古屋市北区平安2丁目21番86号 E-mail address tohara@pp.iij4u.or.jp
責任者
代表取締役社長 水野博之